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2005年05月28日

★小説家になる夢と、プロポーズの時期

5月末は、私にとって思い出深い日がつづく。


「★小説家としてのメッセージ」でも書いたとおり、
1997年の5月24日にグアテマラから帰国し、
2001年の5月27日に彼女(今の妻)にプロポーズをし、
2002年の5月25日に結婚した。
そして2006年の5月2?日に江戸川乱歩賞を受賞する(つもり)。


昨日は5月27日。前述したとおり、4年前、妻にプロポーズした日だ。

そこで今日は、私のプロポーズにまつわるエピソードを書こうと思う。



前述したとおり私は、2001年の5月末に今の妻にプロポーズした。

ふたりとも、知的障害者のボランティア活動で知り合い、付き合いはじめた仲だ。その日も一日、二人してボランティア活動に参加したあと、ふたりだけ仲間から離れて夕食をした。

夜になり、私はいつものように彼女を自転車の後ろに乗せて駅まで送った。

当時私は31歳。車の一台や二台、持っているのが当たり前(特に愛知県は)の年代なのに、私には自転車しかなかった。

当時23歳の彼女が、そんな私をどのように思っていたのか窺い知ることはできないが、駅へ向かう途中、突然自転車をとめて「結婚しよう」と言った私に、ほとんど躊躇することなくOKの言葉を返してくれたことは真実だ。
私はそんな彼女を心から愛しく思えたし、また甲斐性のない私自身を呪ったりもした。


私にとっては、もったいないぐらいの彼女だった。
そんな彼女から二つ返事でプロポーズを受け入れてくれたことを、心から喜ばなければならなかった。

だが、私はあの日、駅まで彼女を送ったあと、自転車を引きながら、絶望感でいっぱいだった。
私はまさに「人生の負け犬だ」などと考えながら汚い部屋に戻り、悶々とした思いで布団にくるまり、悔し涙を流した。


今の妻と結婚したいという気持ちは、付き合いをはじめて数ヶ月もしないうちからもう心のなかで大きなものとなっていた。
彼女も、彼女自身の言動からして、早い段階からその思いは通じていたようだった。

しかし、私は30を過ぎてもいっこうに結婚の申込みをしなかった。

彼女はまだ大学に在学中。しかしそれでも結婚への思いは強いようだった。

私の家族、特に母親は、若いころからバイクに乗って一人旅したり、会社を辞めて協力隊に参加したりした私のことを心底心配していたようで、はやく身を固めてほしいと願っていた。

彼女との付き合いが1年、2年……と過ぎていくうちに、周囲から「まだなの?」という目で見られるようになっていった。


しかし私は、心に決めていたことがあった。


私がプロポーズするときは、晴れてプロの作家になってからだ、と。
つまり、乱歩賞をはじめとする中央出版会の新人賞に受賞した時点で、私は彼女に結婚の申込みをすると決めていた。

その結果、2000年から2001年にかけての私は、大変な量の執筆をこなし、対応できうるすべての新人賞に応募する日々を送ることになった。

あまりの執筆量に、当然体をこわした。
キーボードを打ちすぎて肩があがらないほどまでにもなり、仕事が終わったあとはリハビリに通った。

リハビリ中も、PDAを使って小説と向き合っていたため、先生に怒られたこともあった。


――だが、応募しても応募しても、最終選考まで残る作品はなかった。

地方の新聞社や自治体が主催する、地方文学賞で入賞することはあっても、中央出版会の賞では評価されなかった。

また、執筆に打ち込む時間を多くとることによって、彼女と会う機会は減っていった。
彼女から不平を言われると、

「俺は君にプロポーズするために、こんなにがんばっとるんだ!」
……と言いたいところをグッと我慢して、別の言い訳を探した。


小説家になるという夢を実現させてから、恋人にその思いを打ち明けたら、こんなドラマティックなことはないだろうと、私は私自身の計画に酔っていた。


そしてどんなに体がおかしくなっても、彼女に結婚を申し込む瞬間を頭に描くことによって耐えた。

無論、結婚を申し込んでからだって小説家をめざすことはできる。何にもカッコ悪くはないのだが、私はこうと決めたらそれを絶対貫こうとする頑固者だ。

同世代の友人から、「はやく結婚しろ」「子供はいいぞ」「そろそろ落ち着いたら」と言われながらも、頑なに本心を打ち明けなかった。


2001年の1月末、私は乱歩賞に応募した。

2度目の挑戦だった。
前年は2次選考を突破し、35作品の中に入った。
今年こそはいけるだろうと思い、入魂の作品を投函した。自信があった。

私は間違いなく乱歩賞を受賞できるものと思い込んだ。

これで晴れて彼女に告白できる。
長い道のりだったが、ようやく終着駅までやってきた。そう思っていた。


その年の4月初旬、私は彼女と桜を見に行った。

ノロケも大概にしろとお叱りを受けそうだが、平日に休みを取り、人通りの少ない桜並木を二人で歩いた。久しぶりに平穏なデートを過ごした。そのとき、不覚にも私は、周囲の光景と彼女があまりに美しかったので、私は思わず「結婚しよう」と言いそうになった。

前を歩く彼女を、私は呼び止めた。

しかし、私は、私の中で「あと少し待て!」という声を、確かに聞いた。

4月下旬になれば、乱歩賞で最終に残った人へ通知が来る。とにかく最低でもそれまでは待てと自分に言い聞かせた。


ところがだ、その後、我が家に不幸が訪れた。


飲んだくれの父が、ついに「胃が痛くてどうしようもない」と言い出し、一緒に病院へ行ったところ、母と私だけが別の日に病院へ呼び出された。

癌の宣告――。


父は、胃癌を患っていた。


あわただしい生活がはじまった。

末期ではなかったが、早期に発見されたわけではなかった。
入院――。数え切れないほどの検査――。そして手術の準備――。

母は精神的に参っていった。私も参りかけていたが、私には献身的に支える彼女の存在があった。


父が入院すると、当然、東から西から、親族が集まった。
長男である私は、毎週末、対応に追われた。

私は31歳になる独身の男であった。当然、久しぶりに顔を合わせた親族との話題は「私の今後の身の振り方」に集中した。

「お前、彼女はおるんか」
「おるんか。それで、まだ付き合いは短いんか」
「もう2年になる? なんで結婚しん? 彼女がいやがっとんのか」

――そこですかさず私の母が、
「いや、いやがっとらん。あの子はいやがっとらんて」

「お母さんも知っとる子か」
「だったらお前、なんで結婚しんのだ」
「また、外国行きたいぃ言うんやないやろな」

――ふてくされたような表情をして母が、
「何考えとるかわからんわ、この子は」

「なあ、もうそろそろお母さんを安心させたれ。お父さんだっていい報せ聞いたら手術がんばろう言う気になるかもしれんだろ」
「もうちょっと待ってくれ? 何を待つんや。待っとったら何かええもん空から落ちてくるんか」
「相手が嫌がっとんだったらしゃあないけど、そうじゃないんやったらええ加減、親孝行したらどうや」


……それはそれは、私には苦痛の日々だった。

私が結婚を決めることが、父の手術に影響を与えるのかどうかはわからない。
だが、私は譲らなかった。

周囲に薦められたり、世間体を気にしたりして、このような大事な「イベント」時期を決めてたまるかという思いが強かった。

つまり、他人に言われれば言われるほど、私は頑なになっていった。


手術には間に合わないが、4月下旬、いや5月に入ったら最終に残ったという報せが入るに違いない。

そうすれば周囲もわかってくれるのではないか。
そう思っていた。


しかし――。待てど暮らせど連絡は来ない。

毎日仕事から帰ると母に「電話はなかったか」と焦った口調で聞いた。
「お前はなんの電話を待っとるんだ」と言われたが、決して答えなかった。

ついに5月中旬になり、私は受賞どころか最終選考にさえも残らなかったことを知った。

数日間、立ち直れない日々が続いた。
だが私は往生際が悪かった。

ひょっとしたら私の原稿が講談社に届かなかったのではないか、もし郵便事故のせいで受賞のチャンスを逃したとしたら私の人生もそのせいで狂わされてしまったのではないか――などと、常人では考えられないほど精神的に不安定になり、講談社や郵便局に問い合わせようかと考えたりした。

だがそういう激情も、時間とともに萎えていった。現実を受け入れるしか選択肢はなかった。

そしてとうとう私は、彼女にプロポーズすることを決めた。


そのころは、父の手術が成功し、年齢の割には驚くほどはやく回復の途についていた。

病院へ通った。いつも酒の匂いを周囲にふりまいていた父の、清潔な顔を眺めるたびに私は癒された。
幼少のころから対立ばかりしていた父に、この大事なことだけは母より先に伝えた。

ある日、病院のベッドでうつらうつらしている父に、「俺、今週末、彼女に結婚の申込みしてこようと思っとる」そう言った。

すると父は目を開き、一言、
「そうか。ま、がんばるだわ」
それだけ、言った。

そしてその週の週末、ボランティア活動を終えたあと、私は彼女に結婚の申し入れをした。


部屋に戻ったあと、私は私が勝手に考えた「最高のシナリオでもって彼女を喜ばせたい」という思いを叶えられなかった悔しさから、激しい自己嫌悪に陥った。

バカバカしいと思われるかもしれないが、あれほど長いあいだ頑固に、ひとつのことに集中して燃えた日々はそうそうにない。



結婚しました















あれから、何年だ。
4年か。4年がたったのか。


今は、もう、焦りはない。
才能がない人間が焦ったら負けなのだ。

今はもう、ただ自分のために、乱歩賞をとりにいく。




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Posted by rampo2006 at 00:12
この記事へのコメント
いいものを読ませていただきました。

乱歩賞、むずかしいと思いますががんばってください。

クリックはしておきました。
Posted by lio at 2005年05月28日 02:53
作家になろうとする意気込みとそれにかける情熱、努力の姿勢が伝わってくる文章ですね。
正直すごいなーと思いました。
それだけ真剣に取り組んでいれば必ず作家として大きく羽ばたいていける日が来ると思います。きっと。
日本ファンタジーノベル大賞を受賞した方で投稿歴13年という方もいると聞いたことがあります。

頑張っている人の話を聞くと自分も頑張ろうと改めて思えます。
応援しています。

自分は今、オール読物への応募用原稿を執筆中です。
お互い頑張りましょう。
Posted by ヤマダ at 2005年05月28日 05:41
lioさん
コメントありがとうございます、そしてクリックもありがとうございます。

実は後日談があって、プロポーズをしてからその後1年間また同じように、すさまじい執筆の日々を過ごすのです。
結婚式のときに乱歩賞を受賞する!って宣言して。
ところがこのときも玉砕。ショックのあまり胃潰瘍をわずらい、結婚式は「激ヤセ」状態で出席しました……。


ヤマダさん
オール読物って推理新人賞のほうですか? 6月末締切ですよね?
乱歩賞よりはるかに難関だと思いますよ。(私としては)応募総数が段違いだし。短編って難しい。。
Posted by じゅん at 2005年05月28日 08:37
はじめまして。いつも読んでおります。

あまり人の読み物を読んで涙腺が緩むという事がないのですが、久しぶりに涙が出そうになりました。

僕はあと2年ちょっとで30歳になりますが、お恥ずかしい話、同じような焦燥感でいっぱいになります。

江戸川乱歩賞を取れるように応援しつつ、これからも読ませていただきます。
Posted by だい at 2005年05月28日 17:37
じゅんさん、初めまして。
毎朝、読んで、クリックしています。
じゅんさん、来年の5月を楽しみにしています。
毎朝、ここを覗いて、元気もらっています。

ヤマダさん、オール讀物推理新人賞、がんばってください。
私も応募したことがありますので…。



Posted by みかん at 2005年05月28日 18:50
感動しました。久々に本気で涙を流してエンエンさせていただきました。今も涙がとまりません。奥さんは本当に本当に幸せですね。心からありがとう!
Posted by よね at 2005年05月28日 23:30
みかんさん
励ましのお言葉ありがとうございます。頑張ります。

じゅんさん
お返事ありがとうございます。
オール読物は700編くらいでしたっけ?
でも数か多いから難関、少ないから楽勝といった単純なものではないと思います。
乱歩が300?くらいでも、すでに小説家としてプロでやってるレベルの高い方も投稿されているみたいですし。
自分はまだ自分自身のレベルが未熟な事は理解しているので、10年後ぐらいに作家になれればいいなと長いスパンで頑張ろうと思っています。
自分より若い高校生作家デビューの話を聞くとあせりますが・・・たしか乙一さんもそうだし、今話題の日日日さんもそうですよね。

Posted by ヤマダ at 2005年05月29日 00:49
> だいさん
> よねさん
コメントありがとうございます。ブログの記事って即興で書くので、構成がメチャクチャな場合が多いのですが、それでもそのように書いていただいて嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。

Posted by じゅん at 2005年05月29日 07:01
> ヤマダさん
いや、おっしゃるとおりです。応募総数の規模でレベルが変わるわけではありませんよね。私の得手不得手に関することでした。

あと、年齢で焦りはないですね。まったく。
下読みの鉄人さんの記事で、こういうのがあります。
http://www.sky.sannet.ne.jp/shitayomi/debut/d004-01.htm

ただ今の本業では、焦りを感じます。。。(笑)
私より年下の経営者とたくさん会い、彼らの実力を目の当たりにするたびに落ち込みますから。。(泣)

37、8歳で小説家となり、20〜30年ぐらい小説家として仕事ができたら最高だと思っています。

これまでいろいろな職業に就き、それなりに苦労した経験は作家業でも生かせると。

ま、でもある程度の「焦り」も必要ですよね。(苦笑)
Posted by じゅん at 2005年05月29日 07:02