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2005年05月26日

★小説家としてのメッセージ

一昨日の、江戸川乱歩賞受賞作が発表された5月24日は、実のところ私にとって大変思い出深い日である。

ちょうど8年前の「5月24日」に、グアテマラから日本へ帰国したからだ。


この「5月24日」という日付――。


正確な日にちを常々頭の中に入れているわけではない。
いつも「だいたい5月の下旬に帰国したなぁ」というぐらいにしか覚えていない。それなのに、毎年この日になると私は必ず思い出す。

思い出さなかったことなど一度もない。

ああ、○年前の今日、日本に帰ってきたんだなぁと。
毎年、感慨深く、東京都心の喧騒にまみれながら、周囲の若者たちとはアンマッチな汚い格好で歩いていたことを思い返す。


なぜ私が毎年、この5月24日という日になるたびに思い出すのかというと、実はそれには理由がある。

毎年この日、必ずといっていいほどニュース番組のキャスターが、「あれから○年がたちました」と報じる。しかも神妙な顔つきで、視聴者に語りかけるように、「あなたは今、何を感じていますか」とオブジェクションを投げかけてくる。

この日が、日本の犯罪史上重大な事件が起こった日であるからだ。


私は8年前の5月24日、帰国して東京の友人宅に着くなり、久方ぶりに見る日本のニュースに釘付けになった。おそらくこの日記を読んでいる多くの人も同じ経験をしただろう。
しかし、私は陽気な国・ラテンアメリカから帰国したばかりだった。
その衝撃といったら、筆舌に尽くしがたい。

もうおわかりであろう、その事件とは「神戸連続児童殺傷事件」である。



私が帰国したその日、全てのチャンネルがこの信じがたい事件を報じていた。

神戸市須磨区で、小学6年の土師淳くん(当時11歳)が殺害され、その遺体が言葉では言いあらわすことのできない形で、世間の目にさらされていた。


私はJICAで健康診断やオリエンテーションを受けるため、また協力隊の同期のメンバーに会うために一週間ほど東京に滞在したが、そのあいだずっとこのニュースは流されつづけた。

さらに名古屋へ帰り、家族らと再会、地元の友人らと毎晩のように約束して再会を喜んでいた裏に、このニュースは連日報じられていた。そして誰もが息を呑むような結末へと導かれていった。


あのときのショックは今も忘れられない。


そしてあれから8年がたった。


あの事件がきっかけだったのか。
被害者の低年齢化と、加害者の低年齢化は、限界がなく進んでいる。


1年半前、私もひとり、息子をもうけた。


毎晩息子を見つめ、息子の成長を喜びながらも、得たいの知れぬ「悪」が忍び寄りつつあるのではないかという不安に苛まされることもある。


私は日本に帰ってきてから、「日本の豊かさは幻想だった」という思いを、日に日に強めている。

JR西日本の事故のあと、全国の線路上で石や自転車が放置されるという卑劣きわまりない事件が相次いだ。

私がいたグアテマラは、本当に物質的にも貧しく、そして「心さえ貧しい人々」も数多く目にしてきた。しかしどんなに理不尽な搾取や暴力にさらされようと、「何が人の道をはずれることになるのか」ぐらいは彼らも理解していた。
最低限の節操はあった。

残念としか書きようがない。


この思いは必ず、私が書く小説の中では表現していくつもりだ。

ただ「異国情緒」をアクセントにしたいがために、外国を舞台にした小説を書こうとしているわけではない。


まだまだ見聞が偏っており、答えなど出せないが、小説の中では「何が本当に豊かなのか」を問題提起して、読者と一緒に考えていけたらと思う。


ああ、はやくプロの作家になりたい。



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Posted by rampo2006 at 01:11
この記事へのコメント
はじめまして。
私も小説を書いています。
物を書いていて一番嬉しいというかやりがいがあるのは、
読んでくれた人が何かを感じてくれたときです。
それは作者が意図したものであっても、そうでなくてもかまいません。自分の作品が読者の心のどこかにひっかかったんだということが実感できれば私は十分だと思っています。

『小説の中では「何が本当に豊かなのか」を問題提起して、読者と一緒に考えていけたらと思う。』

この一節を読んで、似たものを感じました。
作者は答えを押し付けるのではなくて、問題提起と考える素材を読者に提供するんだ。そして一緒に考えていくんだ、と。

頑張ってください応援しています。



Posted by 新作家集団《e-sprits》 at 2005年05月26日 22:06
こんばんは、戸比塚さま

「日本の豊かさは幻想だった」と決め付けたとしても、ただ落胆するのではなく、私たち大人ができることはたくさんあるわけです。
決して、「落胆して」「見捨てる」つもりはなく、現状を踏まえたうえで、さあ自分で何ができるのかを考えていきたいと思っています。

お互い、頑張りましょうね


Posted by じゅん at 2005年05月26日 23:55
お返事どうもです。

僕は、幻想の「豊かさ」を経ないと見えてこないものがあると漠然とですが思っています。
ある種、諦めととられかねないかも知れませんが、僕の世代は物心ついたときから「豊かさ」の負の部分を見つづけてきました。

そんな僕でも、皆が「本当の豊かさ」に気づくことができればいいなということを願っているわけです。(恐らくこれは幻想の「豊かさ」を経ないと分節化できなかった概念なのではないかと思います。)

その前提にはまず自分自身が偽りの「豊かさ」への執着を捨て、真の豊かさに気づくということがあります。そしてそれは僕の場合に小説を書くという行為を通じて得られ、同時に発信できるのではないかということも思っています。
勿論これは「豊かさ」以外の問題にもあてはまると思いますが。

拙筆で申し訳ありません。

じゅんさんのバイタリティ尊敬します。



Posted by 戸比塚 at 2005年05月27日 00:50
戸比塚さん
「真の豊かさに気づくということが、小説を書くという行為を通
じて得られる」というコメントに強く共感を持ちました。

一人の大人として、そして作家として、逃げてはならないテーマですね。
Posted by じゅん at 2005年05月28日 00:56