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2005年04月26日

★JR福知山線脱線事故に、思う。

今から8年前、1997年の4月。エルサルバドルの観光地、「プエルト・デ・ディアブロ」から首都サン・サルバドルへと向かう峠道で、乗客30名ほど乗せたバスが崖から転落した。

幸い、死者は出なかったものの乗客の大多数が重軽傷を負った。

私は当時、7人の青年海外協力隊のメンバーとそのバスに搭乗していて、大惨事を経験した。


青年海外協力隊の任期中には、たった一度だけ国外を旅行する機会を与えられる。
私は任国・グアテマラからエルサルバドル、ホンジュラス、パナマ、ドミニカ共和国、コスタリカ、メキシコ――と、3週間のあいだで6カ国をまわった。
その最初の旅行先の、初日の午前中に、この転落事故を味わった。

同じように旅行していた同期隊員と、現地エルサルバドルの隊員とでその日は行動していた。
私ははじめてグアテマラ以外の中米へ来たのだから積極的に街に出たかったし、グアテマラにはない観光地にも足を運んでみたかった。
だが現実には、グアテマラやコスタリカと異なり、エルサルバドルで観光に向いた場所は乏しく、自然と選択肢は絞られていった。

プエルタ・デ・ディアブロは、首都から1時間程度で行ける景勝地だった。地元の隊員の勧めで、私たちはその景勝地へおもむいた。

その日は曇りがちで天気が悪かった。プエルタ・デ・ディアブロの丘から見る一望も雲がかかってはっきりせず、道ばたで焼きトウモロコシを買って頬張り、私たちは時間をつぶした。昼頃になり、首都に戻って食事でもするかということになった。我々8人は、それほど混んでいないバスに乗り、サン・サルバドルを目指した。

道は曲がりくねった坂道だった。
バスは軽快に右へ左へ尻を振りながらくだっていった。

異変は、案外、我々が搭乗してからすぐにあらわれていたと思う。

スピードが異様に速かった。
右のカーブをまがり、左のカーブをまがると、さらにスピードが増す――その繰り返しだった。

エンジンブレーキをかけている様子が見られず、まるでジェットコースターに乗っているようで、
「おいチョフェール(運転手)、もう少し丁寧に運転してくれよ」と私たちは日本語で冷やかしていた。

だが、そういった私たちの余裕もすぐに立ち消える。
運転手がしきりにギアを入れ替えようとするが、「ガー! ガー!」という金属の擦れる音が車内に響き渡るだけで、ギアチェンジができないようだ。

つまり……ニュートラルに入ったままで走行していたのだ。

ブレーキがきかないのか。

車速はあがるいっぽうで、乗客から悲鳴があがりはじめた。

右のカーブ。
壁に激突しそうになるが、運転手が賢明に操舵して、それをかわす。
タイヤがきしみ、オンボロのバスのシャシーはねじれて横転しそうになった。

しかし次の左のカーブに差し掛かると、バスはコントロールがきかなくなった。車内で絶叫があがる。


私は異変に気づいてから、数秒たらずのこの出来事を今でもはっきりと覚えている。
私は、とかく冷静だった。

いや、ぼんやりしていた、と書いたほうがいいかもしれない。
正直に書くと、反応が鈍いのだ。

なぜ皆が悲鳴をあげ、椅子の下に隠れようとしたり、隣の名も知らぬ乗客同士で頭を伏せていたのか理解できなかった。

私はただぼうっと、後部座席からまっすぐ、フロントガラスの先の風景を見ていた。


やがてバスが曲がりきれなくなり、轟音とともに、フロントガラスには、美しいエルサルバドルの空が映し出された。

その空を、私は長いこと、長いこと、見つめていたように思う。


カーブを曲がりきれなかったバスが、峠道から脱し、一瞬空に浮かんだとき、私がフロントガラスを通して見た空も一瞬ふわりと上空を映し出した。

バスのノーズが傾くと同時に、フロントガラスの映像が崖下の「森」に変わったとき、私は、「私の人生はこれで終わった」と、素直に認めた。


空や森はあんなに静かだったのに、一瞬宙に浮いたバスの内部は声にならぬ叫びと恐怖で充満していた。


その後のしばらくのことは、記憶にない。

気がついたら、ひしゃげたバスの中に、外れた椅子と土ぼこりと人間とのあいだに挟まれていた。

私は当時、26歳。
もう十分に大人だったはずだが、完全にパニックになった。

意識を取り戻したときは、自由になる手で体と顔や頭を触り、大事がないこと、そして生きていることに信じられない気持ちになった。

だがその次の瞬間、私の内部で凄まじい恐怖感が渦巻いた。

「ここを脱出しなければ、バスが爆発するのでは――」

私は、私自身のことだけしか考えずにその場から脱しようとした。他の乗客がバスの窓を叩き割って外にジャンプし、駆け下りている。私もあとに続いた。

他7人の協力隊の安否については、頭によぎらなかった。血だらけで泣き叫ぶ女性や、子供をかかえて座り込む傷だらけの男性を尻目に、私はその森のなか、遠くへ遠くへ逃げようとした。

しかし、幸いなことに、私よりもはやく脱出していた仲間の隊員とすぐに出くわし、我に返った。


バスはカーブを曲がりきれずにいったんは、崖下に向かって落ちかけたが、10メートルほど落ちたあとで、農家の倉庫に激突して止まった。

もしもその倉庫がなかったら、峠の下までまっしぐらのはずだった。


その後は通りがかりのエルサルバドル人たちと救出作業に参加したが、一時はパニック状態になり、道端にへたり込んでいた。

この日、事故に遭った、私を含めた8人の隊員のうち、2人が重症、4人が軽症を負った。無傷は私を含めた2人だけだったが、無傷であったはずの私が、足を引きずりながら救助活動に奔走している仲間をただぼうっと見つめる一場面もあった。

しかたがないといえばしかたがないが、あのような惨事に遭遇したときに、頼りにならない自分自身を知った気がして、今思い起こしてもいやな気分になる。


今もボランティア活動をしている。その活動中に、障害者の人に何かがあったときにはすぐ対処できるような心構えはできている。

しかし、あのような予期せぬ事故に遭ったとき、自分はどうなるかわからない。


昨夜遅く帰宅して、福知山脱線事故の報を聞いた。
ニュースで見た光景は、私が経験したものと種類が違っていたが、当時の記憶がいきなり「ぼわっと」私の目の前によみがえった。

事故のあと、私は旅行を続けなければならなかったが、当然飛行機に乗るにも、バスに乗るにも怖がった。一緒にいた、同期隊員の手をとって震えることもしばしばあった。

事故に遭った乗客の方々および、そのご家族も、しばらくはその心の傷にとらわれることになるかもしれない。
その辛さ、悲痛は心中察するに余りある、

特に亡くなられた方に対しては、心よりご冥福をお祈り申し上げたい。



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