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2005年04月25日

★自分の小説で泣く、私。。

私は自分が書く小説に、よく途上国の子供を登場させる。

いつも彼らは類型的だ。例に漏れず薄幸なのである。


複雑な家庭環境に育ち、10歳になる前からマリファナを覚え、ひねくれていて人とかかわりを持とうとせず、常に空腹であるがために人を騙してでも食を得ようとする――私は、そんな子供ばかりを小説世界の中で描いてきた。

5、6年前か。あまりの空腹のために目に映る世界すべてが「ゴッホ」の油彩画のようにうねり、彼を異世界に誘う、というような小説も書いたこともある。(不評だったが)


今回の小説でもそうだ。性根がまっすぐなために人から騙されるが、騙されても騙されても、他に頼る大人がいないために、「悪い大人」に寄り添い、利用されつづける少年が出てくる。

その少年は、いつも鶏を連れている。鶏の首に紐を付けて、どこへ行くにでも連れ歩いている。彼の唯一の友人であり、唯一の話し相手でもある鶏を。いつかは自分が食べるために毎日、心をこめて餌をやり、話しかけている。


仕事におわれ、家庭も旧友もすべてをほったらかしにしていた主人公が三年の時を経て、ドミニカに戻る。そしてそういう少年に出会ったとき、自分自身を振り返る――というシーンがある。


私はこういうシーンを書いていると、勝手に感情移入してしまって、胸が苦しくなることが多い。まだ未熟なので、うまく小説に落としこめないのだが、自分の書きたいことは頭のなかでしっかりと描かれているので、目を閉じなくともその映像ははっきりと見える。

執筆していると、ついついそんなシーンを思い浮かべ、目頭を熱くする。泣けてきて執筆が止まるのだ。(苦笑)
何とも単純でおめでたい男だ。
自分の創作物なのに、その少年の将来を案じ、何とかしてやりたいと真剣に考えてしまうことさえある。



昨夜、妻がトンカツをつくった。
1歳4ヶ月の我が子も、その味を知っているのだろうか、調理している段階から、明らかにその「トンカツ」の匂いに対して敏感に反応していた。意味もなく台所の近くを行ったり来たりして妻の邪魔をしていた。

案の定、ご飯と味噌汁とトンカツを目の前に並べられると、わが子はトンカツばかりに手を伸ばした。最近は好きなものが出てくるとそればかりに関心を示す。好きなものが出てこない場合は、何も食べようとせずに泣いたりする。

昨夜も、トンカツと同じようにご飯と味噌汁を食べさせようとしても、体をくねって抵抗し、口をかたく結んだ。
頑として、トンカツばかり食べようとして手を伸ばしてきた。


私は夕食の直前に、前述したシーンを書いていた。今、自分を育ててくれる男親が友人宅で酒を飲んでいるので、その庭で鶏と退屈そうに遊んでいる少年を描いていた。

その少年は空腹のあまり何度も立ち上がって父親の姿を探す。しかし酒を飲んで楽しそうにしている親を見ると、早く帰りたいとも言えず、また座って鶏の体をなでる。やがて眠くなって、鶏を抱えたままこくりこくりと大きな頭を揺らす。
その少年を、遠くから主人公が眺める――。

そんなシーンだ。

妻が「もう、今日はナイナイするよ!」と言ってトンカツを取り上げると、わが子は大きな声で泣きわめきはじめた。

さすがに、いつもは天使のように愛らしいわが子も、このときばかりは「どうしてくれようか」と思わされた。

鶏一羽もたせて、カリブの島につれてってやろうか。


まったく、育児って難しい。



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