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2005年03月31日

★一年前の3月31日を思い起こす。

昨年の3月31日、日本を代表する企業を退職した。それからちょうど、一年が経った。


普通、有給休暇が35日近く残していたら少しでもその権利を有効活用したいと誰もが思うのだろうが、私はほとんど休みを消化せずに3月31日の夜中まで従来と変わらず仕事をしていた。

いま、このブログを書いているこの時間のちょうど一年前も、あのビルのあの一室で黙々と仕事をしていた。そのことを思い返すと不思議な気分になる。


当時34歳。

子供は産まれて数ヶ月しか経っていなかった。にもかかわらず、私は再就職先が決まっていない状態で前職を辞めた。
思い返せば、本当によくやったな、と思う。

母が手術のため入院しており、週末は電車で一時間かけて見舞いに行っていたのも一年前、3月のことだった。

もう1月から退職を決意していたが、父には言えず、母が手術を受けているあいだに私は意を決して父に打ち明けた。

老舗の病院の古びれた病棟。平日の昼間に、34歳の中年の男と、その父親が、ただひたすら無言で硬い丸椅子に座っていた。そのなんともいえない雰囲気の中で、私は会社を辞めることになったと言ったのだ。

父は古いタイプの人間で、私の気持ちなど理解してもらえないとわかっていた。
案の定、父は私を睨み、

「失業……?」

と言ったまま次の語が告げないまましばらく絶句した。そして、

「失業なんて、お前……絶対ダメだぞ」

と言った。ただ最後はやや語気を弱めてから、表情をこわばらせていた。

おそらく10年前なら「バカヤロウ!」と言ったまま、それ以上何も言わせない態度で席を立っただろう。だがそんな父も、歳をとったのか、それとも子供をもうけた私をようやく一人前と思えるようになったのか、苦言は口にしても、親の威厳はもう通用しないのだという諦めのようなものを漂わせた表情をしていた。


「失業」といっても、私は辞めさせられたわけではない。
一応、自分の意思で退職を決め、上司にも、その上司の上司にも、その上司の上司の上司にも、私の考えがあらたまるように、引き止められた。

だから父が口にしたような「失業」のニュアンスとは異なると思うのだが、次の職が決まっていなかったのだから、父の落胆ぶりも理解できた。


それから3ヶ月間、私は再就職活動をし、7月に再就職して現在にいたっている。
父も根本的には理解していないだろうが、私の決断や振る舞いに以前のような不安を感じることはなくなったのだろう。あれから私を責めたことはない。



給料は、「劇的」といっていいほど減った。
ボーナスは……笑えるほど少なくなっていた。
だが、ま、それも仕方のないことである。

親子3人食べていくにはちょうどいい程度の給料にはなった。

以前はあまり理解していなかったが、やはり大企業の給料は普通と違う。再就職活動をしていたとき、250万近く低い年収を提示されたときもあり、愕然となったこともあった。それほど前職の取り分はよかったのである。


この一年で子供はすくすくと育ち、私も自分の仕事をおもしろいと思えるようになってきている。母の体調も順調に……(とはいえないが)、まあ問題は少しずつ減ってきていると認識している。
だが、どんな環境になっても変わらず自分の夢だけは持ち続けている。そういう自分自身に対しては、素直に褒めたいと思う。

江戸川乱歩賞を受賞するのだ。
その決意だけは変わらない。


3月31日。

私にとっては、けっこう意味のあるだ。


乱歩賞の〆切まであと、10ヶ月。
前の会社の上司や、その上司、そしてまたその上司にも、私が乱歩賞を獲ったことを報告したい。

彼らが私という元部下の存在を忘れる前に。



      >>> こんな私ですが、応援してくれる方、是非ご一票をお願いします。





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